大判例

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東京高等裁判所 昭和61年(ネ)2282号 判決

控訴人

甲野一

右訴訟代理人弁護士

湊成雄

被控訴人

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

髙井和伸

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は「原判決を取り消す。控訴人と被控訴人とを離婚する。控訴人と被控訴人との間の長男太郎、長女夏子及び二男次郎の親権者をいずれも控訴人と定める。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の主張は、次のとおり訂正、付加、削除するほか、原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

1  原判決二枚目表九行目の「子供服専門店である『コウノ』に」を「洋品店『こうの』に」と改め、同裏一行目の「右『コウノ』」を「前記洋品店」と改める。

2  同四枚目裏一一行目の次に行を改めて「被控訴人は、控訴人との生活において自己中心的であり、控訴人に協調しようとせず、このような被控訴人の生活態度が婚姻関係破綻の原因であり、しかも、被控訴人の性格、言動が容易に変化する見込のない以上、双方の妥協し難い性格の相違から生じたこの婚姻生活の継続的不和による破綻は、まさに婚姻を継続し難い重大な事由に該当する。」を加える。

3  同五枚目表七行目の「『子供服専門店』」から同八行目の「『こうの』、」までを削り、同裏四行目の「と事実」を「との事実」を改める。

4  同七枚目表二行目の次に行を改めて「控訴人は、自分の子供に対する責任をかえりみず身勝手な行動に終始していて、三人の子供の育児、教育に忙殺されている被控訴人のおかれている立場に対し、全く理解を示さなかつたものである。」を加え、同五行目の「乙川某女」を「乙山秋子(旧姓乙川)」と改め、同八行目の末尾に「控訴人、被控訴人間の婚姻は、昭和五四年四月には破綻しており、控訴人が、他の女性と同棲したのは、同五七年以降のことである。」を加える。

三  証拠関係〈省略〉

理由

一いずれもその方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第一号証、乙第五号証によれば、控訴人(昭和一六年八月一日生)と被控訴人(同一九年七月三日生)は、昭和四二年一一月七日、婚姻の届出をし、その間に、同四三年一一月二九日、長男太郎を、同四五年四月一日、長女夏子を、同五〇年一月一七日、二男次郎をそれぞれもうけたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

二〈証拠〉を総合すると、次の各事実を認めることができる。

1  控訴人は、昭和四〇年三月○○大学経済学部を卒業後、父○○が経営する有限会社こうの洋品店に勤務し、同四九年頃、同業者一五名と共同出資により株式会社○×○×を設立してその代表取締役に就任し、同五二年には、埼玉県川口市に右こうの洋品店の支店を設置するに至つた。

2  控訴人と被控訴人とは、婚姻当初、東京都足立区鹿浜○丁目に居を構えたが、控訴人の仕事の都合から控訴人の両親、妹が居住し、右こうの洋品店の所在地でもある同都北区〈省略〉所在の店舗兼居宅の二階に居住することが多くなつたが、同四四年七月、同店舗兼居宅を改築するため、控訴人の両親らとともに右足立区鹿浜で同居するようになり、同年九月頃、被控訴人と控訴人の両親との折合いがよくなかつたことから、同都北区○○町のアパートに移つたものの、一年足らずで再び右足立区鹿浜に帰住した。その後、控訴人の両親らは、同都北区〈省略〉に住宅を新築して転出したが、控訴人、被控訴人らも同五一年八月、被控訴人の肩書住所地に住宅を購入してここに転居した。

3  被控訴人は、昭和四二年春、○△大学家政学科を卒業したが、これより先の同年一月控訴人と見合して交際のうえ、前記のごとく同年一一月に婚姻したものであるところ、性格が自己中心的で気の強いところがあり、生育環境の違いもあつて、婚姻後控訴人とのみならず、その両親との仲もしつくりせず、「今に思い知らせてやる。」等と悪口を述べたことがあり、また、控訴人の妹○○とも折合いが悪く、控訴人がその嫁ぎ先の家に被控訴人に黙つて立ち寄つたことを知つたときなど、控訴人がこのことを隠していたことに立腹して、自宅に錠をかけ、内側から麻縄で縛つて控訴人を家の中に入れさせなかつたこともあつた。被控訴人は、また、足立区鹿浜の前記建物が家の向きが悪く、ぜん息気味の子供によくないなどと不満を述べたため、控訴人において、同建物を売却し、被控訴人の肩書地所在の住宅に転居したのであるが、同人は、ここにも家が小さいとか坂の途中にあるとかと言つて文句をつけていた。更に、控訴人は、前記のとおりの仕事を待つていたので多忙であつたが、被控訴人は、これに対して控訴人の経営の仕方が悪い、控訴人の頭が悪いから大体商売がうまくいかないんだと言つたり、子供らに対し、「あなた方もしつかり勉強しなさい。お父さんみたいになつちや駄目よ。お父さんは何の資格も待つていないんだ。」などと言つて控訴人のプライドを傷つけたことがあつた。

4  控訴人は、子煩悩であり、右のような被控訴人の言動を腹の中におさめて敢て事を荒立てないでいたが、次第に不満をつのらせていたところ、前記こうの洋品店の川口支店の店長○○と男女関係のうわさが立つて、同女が退職した昭和五二年頃から生活に乱れが生じ、飲酒して帰宅することが目立つてふえ、同五三年頃から、出張といつて外泊、外食することも多くなり、被控訴人に対して、別居すると度々繰り返し、三子を抱えて育児、教育に忙殺されている被控訴人をして困却させ、苛立たせてやまなかつた。その挙句、同五四年四月一日、被控訴人の実家において、被控訴人を前にして、その両親に別れたいと申し入れ、同月一〇日頃住居を出て被控訴人との別居生活に入り、爾来今日に至つている。もつとも、被控訴人も控訴人との婚姻継続の意思が萎えていたので、控訴人との別居については、敢て異をはさまなかつた。

5  控訴人は、これより先の同四八、九年頃、赤羽の本店の客として知り合つていた乙山秋子(当時旧姓乙川)とこの別居前後頃から親密な交際を始めるに至り、同五五年四月、東京家庭裁判所に被控訴人を相手方として離婚の調停を申し出て、これが不調に終つたにもかかわらず、遅くとも同五七年には、右乙山秋子と関係を続けた末、同棲することを計り、翌五八年から、同都練馬区のアパートで同女と同棲し、同六〇年八月二日、同女との間に男児○○をもうけ、同月一三日、同児を認知する届出をし、現在、同女の前夫との間の連子ともども同居生活を営んでおり、同女は「こうの」洋品店の川口支店の責任者の仕事をしている。

6  被控訴人は、現在、控訴人から一か月一七万五〇〇〇円ずつ仕送りを受け、実家からの援助もあつて、大学医学部一年生の長男、高等学校三年生の長女及び中学校一年生の二男を養育しながら、控訴人が戻つてくることを期待している。

以上の事実が認められ、〈証拠〉中、右認定に抵触する部分は、右認定事実に照らすとにわかに採用することができず、他にこれを覆すに足りる証拠はない。〈証拠〉中には、右認定事実のほかに、控訴人が請求の原因で主張している事実に副う部分があるが、これを裏付けるに足りる証拠もなく、前掲その余の証拠に照らすとにわかに採用することができないので、これを認めるに由ない。

三以上に認定した事実就中別居が現在まですでに八年に及んでおり、控訴人が他女と同棲して一子までもうけている事実に鑑みれば、控訴人と被控訴人との婚姻関係は、夫婦としての共同生活の実体を欠き、被控訴人の婚姻継続への期待にもかかわらず、その回復の見込はなく、破綻しているとみざるをえない。

そうして、その破綻の原因の一端は、被控訴人の性格が自己中心的であり、勝気であつて、控訴人側親族との融和を損ない、洋品店経営者としての控訴人に対し、家庭に安らぎを与えないばかりか、却つてそのプライドを傷つけるような言動にも及んでいたことにあることが指摘されねばならないが、しかしながら、別居前からの控訴人の生活の乱れは、このような被控訴人の性格や言動にあるというより、前記の一ないし二名の女性との交渉に主因があると推認するのが自然であり、このことが婚姻生活の破綻を深め、別居へ導き、やがて昭和五七、八年頃控訴人が乙山秋子と関係を継続し、同棲を始めたことによつて破綻を決定的ならしめたとみるのが相当であるから、そうとすれば、控訴人は破綻につき専ら責任があるとされなければならない。

そこで、この有責配偶者たる控訴人の離婚請求についてであるが、控訴人と被控訴人との同居期間は約一一年半で、双方の年齢は現在それぞれ四六歳と四三歳であつて、これらに対比すると、別居期間約八年を以て相当の長期間とするには足りないのみならず、両者の間には、いずれも未成熟の長男(一八歳)、長女(一七歳)及び二男(一二歳)の三子があるのであるから、その他被控訴人がこれら三子の監護、教育に携わつていることなどを勘案すると、たとい控訴人において自己の側に婚外子を抱えながら右三子のために前記金員の仕送りをしている等の事情を斟酌しても、この離婚請求は、民法一条二項の信義誠実の原則に照らして容易に肯認し難いものである。

四よつて、控訴人の本訴請求は理由がなく、これを棄却した原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき、民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官髙野耕一 裁判官野田宏 裁判官川波利明)

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